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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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Street Theater Troupe(演戯団コリペ)「Floor in Attic屋根裏の床を掻き毟る男たち」__長谷川 明
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     赤貧洗うが如き男四人を中心に展開する、貧乏物語だ。狭いタイニイアリスの劇空間に入った途端、度肝を抜かれた。唯でさえ狭い舞台上には、上手に向かって開かれたトタン屋根の、歪んだバラックが鎮座ましましていたのだ。遠近法を敢えて狂わそうという演出と見たが、それは当然のことながら、これから始まる劇の中心的な主題も語っているように思われた。いつも通り、言語はハングルである。しかし、この舞台装置を見ただけで並々ならぬ才能を感じたのは評者だけではあるまい。貧乏を絵に描いて壁に貼り付けたら、当(まさ)にこのようなイメージになるであろう、と納得してしまうような舞台装置だったのだ。

     暗い舞台上では大鼾をかく男たち、飢えて他人の足指を食べ物と間違え、夢うつつにしゃぶる弱者。鼾の余りの騒音に夢から覚め、周りの弱者に暴力を振るう強者。大きなツギハギはあるものの、唯一、背広を纏ったボスらしき人間らが、見える。其々が、騒動の中、起き上ると、一匹狼的強者による一通りの弱い者いじめとボス交。ボス・舎弟対一匹狼的強者・味噌っかすの食べ物を巡る分配と争奪、新聞紙を破いての洗面。中には陰部の浄めまでする男がいる有り様だ。

     建物は、一軒だけだ。全員が寝転がると一杯になる狭い空間に暮らしているのは、男四人。皆、半端でなくむさくるしい。寝ること以外には、食べ物の争奪とヒエラルキー争い以外、何もしているとは思えない四人が、いつも通り、大騒動を繰り広げていると、突如、どんどんと入り口を叩く音と共に現れたのは、ホステス風の女。或いは、土地の女神か。

     彼女が男たちと戯れている間に、エリア再開発に反対して立ち上がった住民を弾圧する映像が流れるが、四人の男たちはどうやら、最後まで抵抗し続けている人間であるらしい。しかも、彼らを律する論理及び倫理たるや、グローバリゼーションを正当化した資本の論理そのままである。ヒエラルキーを統率する正当性は、頭の大きさである。ズボンがずり落ちないようにしている紐を使って、舎弟がボスと強者、其々の頭の周囲を比べる。が、一回目、ボスは自分の手を頭と紐の間に挟んでイカサマをする。流石に強者が抗議をして計り直すと、今度は強者の頭がより大きいことが分かり、背広に合わせたズボンや洗ってからの経過日数が幾分短い下着と、そうではない物の交換も行われるといった具合だ。基本は「力こそ正義」なのだが、それを糊塗する為の論理も備わっているということだ。

     当然のことながらこれは、現実の格差社会に対する、また、倫理を失い再び暴走し始めた資本主義に対するパロディーである。と同時に、反逆するアナーキーな力の限界と、倫理を失い力だけを背景に世界を牛耳る資本主義への、おちゃらけたアイロニーも込められていると見ることができよう。 評価すべきは、徹底的な貧乏の悲惨が実にドライに描かれている点である。このような状況を日本人が描くと、メロドラマに陥り易い。この辺り、文化と歴史・伝統の差と日韓演劇人に於ける現実認識の差を見ておくべきであろう。

     隋所に登場する女性は、ホステス、巫女と形態こそ違え、“グッ”を意味していよう。“グッ”とは、古来、韓国の巫女=王が供物を供え、歌や踊りを演じて神に祈る儀式であるが、この劇に登場する女性によって表された表象が、現実の物であるか否かを詮索してみるのも面白かろう。空腹の余りの幻想と捉えることも可能だからである。

     但し、この解釈が単純に肯定できないのは、後段で描かれるもう一つの大事件にも絡むからである。

     注文したジャージャー麺の支払いができないことから生じた、出前もちとのドタバタで、彼らの住居は、総ての壁を破壊されてしまうが、その際、四人は、初めて力を合わせて屋根を支える。恰もその行為に対する褒美であるかのように、荒れ狂った出前もちの去った後には、巫女=王・女神からの下され物が見付かるのである。中に入っていた物は、現金。住人達は大喜びするが、ぬか歓びに終わった。見付かった金は総て、最早流通する通貨では無かったのである。この辺りの展開は夢とも現ともつかぬ演劇ならではの亜空間・亜時間としか言えないものなのかも知れない。  しかし、今や家を失った彼らは外へ出て行く。自分達を辛うじて支えてきた、反逆の根拠地を失くしたからだ。彼らは、好むと好まざるとに関わらず、出立を余儀なくされたのだ。

     ここまでで、今回、この劇は終わる。だがこれは、三部作の第一部である。第二、第三部の一日も早い上演が待たれる作品だ。 余談に成るが、この作品は2009年度韓国ベストプレイにも選ばれている。その作品に出演している役者たちが、未だ経験の浅い役者たちだというのだ。現在の韓国演劇界の層の厚さを感じる。日本の演劇人もこの状況を胆に銘じて励むべきであろう。

    | 劇評 | 14:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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