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飛龍伝〜革命という名の愛のために__明 成俊
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    “革命瓩箸牢冉阿任△蝓¬椶砲聾えず、手にも届かない。だが革命と名づけられたものの持つ力は間違いなく大きい。歴史上無数の人々が夢を実現しようとして行動を起こし、その数多くの行動が革命と名づけられた。革命という名の持つ力は大きい。それを背景にして創られた芸術作品が魅力的なのは当然であろう。

     

    飛龍伝(つかこうへい作)は日本の全共闘を背景とした作品であり、今回劇団サムライナンバーナインの公演(吉見フレディ脚色・演出)は、その学生運動を指導する女と機動隊員の男との愛を描いた物語であった。しかし、この舞台を単に愛の物語だったと言うだけでは大きな部分を見逃したことになるような気がする。組織の中で失われていく個人が見えたからであった。

     

      どんな組織も組織そのもののために個人を犠牲にする。構成員も自分のためか組織のためか分からなくなり、自分を失っていくことはよくあることである。全共闘作戦参謀である桂木順一郎(大塚尚吾)もその一人であった。革命のため率先して行動し、それが自分のためでもあると確信していたのが、それが神林美智子(笠原千尋)に出会い、初めて自分自身を知る。自分を愛し幸せにしてくれる存在を見つけたのだった。

     

    しかし桂木は、愛する美智子を機動隊隊長の山崎一平(西川太清)に接近させる。機動隊の作戦中枢に愛する人を投入し、その機密を探らせようというわけである。が、結局その愛する人を失ってしまうことになる。彼にとって革命は終わったと言わざるを得ず、学生運動からも離れていく。革命とは本来、個人一人一人を幸せにするためのものであるはず。組織から離れたとたん、桂木順一郎という個人は弱い一人の人間になるしかなかった。

     

    神林美智子は多様な面を持つキャラクターとして描かれていた。あるときは強いリーダーシップを発揮するまるで政治家のようだったし、一緒に暮らす山崎に籍を入れたと告げるときは愛の中に安定を求める一人の女だったし、また、組織のために資金を集めようと、一種の売春をするときは、それまでの自分を完全に消してプリティーウーマンになり、魅力的に媚(こび)を売る。このように様々な女性像を描きだす美智子は性格が立体的だったから、といちおうは言えよう。が、彼女は本来の自分を誰にも見せたことがない。いや、自分でさえわからない、のかもしれない。

     

    桂木、そして美智子……。とすれば、自分を見つける、自分であるとは一体どういうことなのだろう。学生のときは学生運動をし、卒業し就職して高い給料をもらうようになれば自分を見つけた、ということになるのだろうか?? それはないと思う。

     

    二人とは対照的に、山崎はストレートであった。自分の感情を見せるに正直であった。だから、美智子の前でもコンプレックスなく堂々としていることができた。美智子が愛したのも山崎のそうした性格であったことは間違いない。自分の子どもを産んだ美智子が反対制側に立ったとしても、彼はそのままの美智子を認め、愛したのだった。この山崎こそ自分を見失わず、ありのままの自分として行動した人間であったといえるだろう。

     

    全体として強いエネルギーの感じられる作品であった。しかし、俳優が全般的に舞台の前に出過ぎたのではないかと思われたのは残念だった。確かに観客との距離が近いと感情や行動をより生々しく伝えられるかもしれない。が、やはり舞台の中心で演じた方が観客席からは、観やすい。山崎と美智子との関係を印象に残すためには、ロミオとジュリエットのような劇的装置がもしあったらとも思った。最後のほうの進行が急に早くなり、少し理解しづらかったからである。

     

    俳優の演技や芝居、劇の流れを言えば、作品に集中するに充分な申し分ない出来であった。悲劇的なストーリー、下手すれば重い雰囲気になるような劇が、コミックな要素を入れることによって緊張感を維持しつつもバランスよく進んでいったのだった。男ばかりの劇の中で、中心を演じた女優も印象的だった。俳優がそれぞれの登場人物のキャラクターをよく分析、研究していて、その努力は彼らの演技から明瞭に窺(うかが)われた。流れた音楽もアノ時代の風が感じられる音楽であった。革命の孤独感、悲しさが非常によく伝わってきて劇に一層集中できるようになっていた。とくに劇の中盤にナオミさんが出て歌うところは雰囲気が盛り上がり観客をしっとりと落ち着かせてくれた。見事な演出であった。

    | 劇評 | 04:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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