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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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Whiteプロジェクタト「White-あの日、白い雪が舞った-」__西村博子
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     Whiteプロジェクトは猗鏈卉呂料曚い魃薹爐農こΔ忰瓩鮃膰斥佞Gin’s Bar、アクターズ仙台、劇団ファットブルームなど仙台の演劇人が協力して作った、いわばユニット。Gin’s Bar主宰井伏銀太郎作・演出の「White-あの日、白い雪が舞った-」(演出:西澤由美子と)は、3.11大震災からちょうど1年、仙台で唯一被災を免れたという小劇場クオータスタジオで初演された作品。それが今度、タイニイアリスへと来演したのだった。被災地で震災をテーマに描いた初の作品であり、その東京公演第一号だった。
     そのラク日。終わると一瞬の間ののち、客席からは無言の、しかし熱い熱い拍手が起こった。共感と応援の拍手だったことは、出演者が一列に並び井伏銀太郎の挨拶が終わるとどっと舞台へ、出演者たちに個々話しかけていたことからも知れた。
     挨拶のなかで井伏は、このあと更に練り上げながら、この10月1日にオープンした宮城野区文化センターの開館記念事業「3.11 仙台⇔東京」で公演し、来年にかけて石巻、南三陸町、気仙沼などを巡演していくと言っていた。被災地巡演ではどこの仮設住宅集会場、どこの屋外で上演することになるか分からないから舞台装置を簡略にしたとも。なるほど、タイニイアリスでは初演とちがって部屋の壁やドアなどがわざと取り払わられていた。セリフ中心の“リアリズム劇”だったら装置は有るのが普通。その常識を破ったのには被災地巡演への配慮があったにちがいない。が、そればかりでなく、従来の演劇常識に対する小劇場演劇ならではの挑戦がその底にあったと私は思っている。観るものは俳優にのみ集中できるからだ。

     舞台は結婚式場も営むあるホテルの控室。まず父親(井伏銀太郎)の下手なスピーチの練習から始まり、2度目、3度目、ついにうまく言えるようになるまでが大筋。間に、娘の婚約者(武藤修平)や娘の姪でいま介護士の夏子(小松歩美)が式に出席するため、受付の手伝い兼ねてやって来たり、娘のかつての同級生でいまホテルのサブマネージャーとして働いているしおり(大尾村織)その他が結構繁く室に出入りしていて、それらの会話のうちに、父親が今挙げようとしている結婚式が実は、津波で亡くなり遺体もまだみつかっていない一人娘・雪子のためであったことが次第に知れてくる、という構造であった。登場人物たちのお互いの関係、被災以前と以後のそれぞれの暮らしの違いなども判ってくる。3年経ってやっと遠い海で息子の遺体が発見された遺族、いま介護士佐藤さん(佐藤実香)が思わず「おめでとう」と言われてしまうシーンや、津波で母が行方不明になったままの障害児のハジメ君(尾道一・及川誠広)が母と歌ったことのある♪乾杯」を聞いてハジメて言葉を発するといったシーンも挟まれていた。訪れてきた新聞記者(美砂恵)のインタビューによって、地震が起きたときの仙台駅付近の様子、本当に雪が降ってきたことなど俳優本人の実体験が織り込まれていたりもした。
     震災後3年という設定が先ずいい。父親の、すぐ柴又の寅さんを真似たがったり、仙台の3大発明は牛タンと冷やし中華とルーズソックスだと豪語?したり、その妻役の西澤由美子から「あのくそ親父」と言われるような愉快なキャラクタ―が笑いを誘ってなおよかった。観客はへんな同情など持たずに舞台と対面することができたからである。

     こうした、筋が進むにしたがって相互の関係やその状況が次第にわかってくるという描き方――日本に多いこうした時系列的な手法を、私は“ドラマ”とは画して“年代記的作劇術”と名づけているのだが――によるこの「White-あの日、白い雪が舞った-」。津波に流された一人娘の雪子が防災無線で「大きい津波がきています。急いで高台に逃げてください」と呼びかけていたという台詞を聞くと、観客は誰しも南三陸町防災対策庁舎で最後まで呼びかけながら亡くなったというアノ遠藤未希さんを想い出さないわけにはいかなかった。が、遠藤未希さんはすでに結婚されていたと聞く。4月に結納して8月に結婚式の予定だったと設定されている劇中の雪子とは違うから、この作品の狙いが未希さんその人やその親族たちを描こうとすることになかったのは明らかだった。作品は被災の事実を描こう、伝えようとしたのではなかった、と言い換えてもいい。
     事実を知ることの代わりに私たちは、舞台を観ながら、あんなに何度もTVで報道されたにも関わらずいつしか忘れるともなく忘れていた遠藤未希さんを想い出す、ということをしていた。3.11大震災で死者・行方不明が1万8千人を超えたということを改めて想い出していた。愛するひとを喪った遠い、名も知らぬ人々の心の内に想いを馳せていた。巧い設定だった。作品のテーマ “3.11を忘れないで―”は、見事に成就したと言えよう。夫には上から目線、つねに管理しようとしているかにみえた妻の西澤が、終わりのほう、実は自殺でもしはしないか秘かに夫を案じていたからだったと判るシーンもテーマをうまく補完していた。

     私は勝手な想像人間なので、井伏銀太郎さんから最初「White-あの日、白い雪が舞った-」の台本をもらったとき、そのタイトルや、「どれだけの花嫁衣装が袖を通されなかったんだろう」、「ある奇妙な結婚式が行われようとしていた」といった惹句やを見ただけで、私の想像はみるみる勝手に羽根を広げ、空高く舞い上がってしまった。
     実際の舞台と私の想像と何がいちばん違ったかと言うと、最後のシーン。私の想像では結婚式、父親が列席者と見立てられた観客に向かって挨拶している、と、その脳内に浮かぶ映像として白い婚礼衣装の雪子が出現し、そこに白い雪が音もなく舞いしきる、といったものだった。
     が、舞台はそうではなかった。台詞によると、山形の天童に若松寺(じゃくしょうじ)というお寺があって、そこに子どもを迎え去らせた親たちがムカサリ絵馬というのを奉納するという風習があるとのこと。どのような絵馬かは分からないし知らないが、その奉納はすでに先週済んでおり、「主役がいない」今日は「結婚式って言っても・・・身内で食事しながら思い出話をする会」とのことだった。
     そして実際、父親の行方を捜して色めきたった人々のところへ、ホテル併設の教会のヴァージンロードを娘のウェディングドレスといっしょに歩いてきたと言う父親が戻ってきて一同ホッ。父親は控室で最後のスピーチ練習を終えると食事会へと去っていく。と、やがて誰もいないその控室に桜色のドレスを着た、婚約者が驚いてコーヒーカップを取り落としたほど雪子に似ているとされていた姪の夏子が、そっと現れ、控室に残されていた白いウェディングドレスをじっと見つめ、手に取り、両肩に当て、くるりくるりと舞い初め、その、高く舞い上がったウエディングドレスに桜の花びらがちらほら降りかかる――というところで終わった。
     気になったのでもらった台本を読み返してみると、控室の窓から港公園が見えそこには復興を祈願して桜が植えられたとか、夏子の妹で高校生の秋子(藤川みちる)が、あの日は雪が降ったのに桜が咲いていたという壁新聞を避難所に貼ったことがあるとか、父親の練習スピーチの中に満開の桜の下、雪子が鼓笛隊の先頭を歩いていたという幼稚園のころの挿話も入っていたとか、桜に関する会話はあちこち伏線みたいに散見された。しかしもっとはっきり父親が、昨日なぜ居なくなったか聞く妻に、港公園に行っていたと答え、そのわけを公園では昔以上に桜が満開で「雪の日に生まれて雪の日にいねぐなった雪子が桜の花びらになって会いに来てくれたような気がしてな・・・そしたら、雪子は冷たい海の底にいるんじゃなくて・・・桜の木の下に眠っているように思えて来たん・・・」と話す個所があった。父親のなかに、津波に引き去られた雪子が暖かい春の桜とともにあれという願いが強くあったのだった。それがラストシーンとなっていたのだった。
     見ていたときの私は、聞いていてよく聞いていなかったのだろう、父親の桜への想いまでは共有できなかったけれども、最後、雪のように真っ白なウェディングドレスと桜の花の舞うシーンは確かに美しかった。
     どうして私の想像が喰い違い、少しがっかりしたかというと、それは私がずっとずっと前、まだ院生だったころのことだが、太宰治の生家と確か同じ金木町の、名も忘れたが冥界婚の人形がいっぱい飾ってあったお寺を訪れたことがあったからである。坊主頭の男の子は水色の紋付、羽織はかま。お河童の女の子は振袖姿が多かったと記憶している。結婚年齢に達した黒の紋付、角隠しのカップルもないではなかったが、多くは幼い子供、童顔だった。そのお寺に行く道端にはくるくる廻る風車や帽子によだれかけや着物を着せてもらったお地蔵さんたちも点々と並んでいた。さしたる根拠があるわけではないが私は、冥界婚といえば、死んだ子にほんとに結婚式を挙げてあげることだとばかり思いこんでいたのだ。
     私の勝手な落胆は、日々忘れるともなく忘れてしまっていたことを想い出させてくれたこの作品のお蔭と許してもらうことにして先を言うと、マグニチュード9、日本の観測史上最大と聞くこの地震。初め東北大震災と言われ、のち閣議で「東日本」大震災と正式名称が決められたのだが、被害の中心は岩手宮城福島の3県、ときに栃木、茨木も含められるが、東北と言い東日本と言っても青森は含まれていないから、宮城に隣接する山形の風習を選ぶほうがおそらく、この作品としてはより適切であったに違いない。山形の冥界婚が青森のとちがってただ絵馬を奉納するだけだったのが残念と負け惜しみを言っておこう。

     冒頭に被災地で被災を描いた初の作品と言った。この作品はそれだけでない。被災後1年にして仙台初演、その半年後に初の東京公演であった。堀田清美の「島」が1955年、田中千禾夫の「マリアの首」が1959年、いずれも広島、長崎の原爆投下(1945)から10年以上経ってからの執筆、上演だったことを思うと、その迅速は日本演劇史に残ると言わなければならないだろう。日本が近代に入ってから急速に発達した“新劇”の分業とちがって、作・演出、出演も同じ人間が兼ねて当たり前、今!を描く“小劇場演劇”ないし“オルタナティブ演劇”なればこそ、である。

     こうなると欲が深くなる。誰も経験したことのないことを経験した被災地から、“新劇”以来の伝統であり“現代口語演劇”でさらに補強され、今なお演劇の主流とみなされている台詞中心の“リアリズム劇”とは異なる、新しいドラマトゥルギーが生まれて来るかも?の期待である。事実、「White-あの日、白い雪が舞った-」の中にも1個所だが、父親の一卵性双生児だというその弟が一瞬にして父親の早変わりで出て来る、従来の“リアリズム劇”だったらあり得ない手法が採られていた。次作にはさらなる実験を!
     同じ「東日本」大震災の、福島原発事故も誰が、いつ、どのように描く? 宮城野区文化センター開館記念事業「3.11 仙台⇔東京」に期待は昂(たか)まる。
    | 劇評 | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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