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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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演劇集団反「靴ーシンバル」__明 成俊
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    1. 演劇集団`反`が3月22日から24日の三日間、東京都新宿区にある小劇場、タイニアリスで`靴`を公演した。今回初めて両国のスタッフ間の通訳として参加することになったため、舞台装置、照明設置、リハーサルなど、演劇作りの一連の過程を、専門外の仕事ゆえそれほど責任は負わず、しかしより身近なところで見ることができた。良い経験だったと言えよう。

     照明の位置設定から設置まで、あるいは俳優の位置や細かい演技までやり直したり変更したり稽古を重ねていく演出、そのたびに俳優も変わり作品が埋まっていく――最後に一つの作品が出来上がるまでの過程を実際に目で見、肌で感じるという経験ははじめてのことであった。無から有になっていくということが言葉でなく強烈に感じられた。これこそ演劇にたずさわる人々や芸術家を魅了して止まない魅力ではないかと思った。
    2. 実は私は、劇評という立派な名に値(あたい)する文章を書くには極めてふさわしくない者と考えている。演劇を見ることはかなりしているが演劇については全く知らないと言っていいし、感じたことをただ感想として書くことさえ上手くできるとは到底思えないからである。私は私の限界を感じている。時間もかかり、だからといって、良い文章が書けるわけでもない。(この感想文をやっと書き終えたのも芝居終わってからゆうに一ヶ月のちであった。)

     そういうわけで私は私の書く文を劇評ではなく感想文と言うのだが、今回の感想文は特に難しかった。知人の作品であったせいもあり、観客席で観覧していたわけでもないからである。もし義務感というものがなかったら、書かなかったかも知れないとさえ思う。書き直したり別の文を書いてみたりを何回も繰り返した挙句、ごく簡略な文ながら、とにかく書くことにした。何かをするかしないか迷ったときは、やった方がいい、から…。

    3.`靴`の舞台はまず、時空間の解体がもっとも印象的であった。過去と現在が混在していたり、異なる時にいる人物たちが同じ空間に居て対話したりする。同時に起きそうもない出来事が同じ舞台、同じ時に起きたりもするのだ。
    例をあげれば、主人公であるミンギュウが海に身を投げようとした後で、彼とジェシカのかつての物語が出てくる。また、過去にいるジェシカと現在のミンギュウが話し合ったり大浮かれするカラオケシーンでは、ミンギュウの、少年時代に行方不明になった父がチラシをあちこちの壁に貼ったりしていた。

     このような演出は観客にとって決して親切ではないが、逆説的に、劇をより容易に理解させる役目を果たしたとも言える。時間の流れに沿って叙述していってストーリーを理解させるのではなく、伝えたいメッセージをちゃんと伝えるために、である、そういう側面から見ると、この演出は実に効果的であった。時空間の解体によって劇は一層、リズム感を増してもいた。

    4.主人公であるミンギュウという人物は演じることの難しいキャラクターである。豊かでない環境に生まれ、平凡に育ち、社会人になり、事業を起こすという、どこにでも居そうな、ごく平凡な人間だからである。ジェシカに出逢ってからすべてのものを手に入れるが、彼女によってすべてを失ってしまう。そして海へ身を投げるという極端な選択をすることになる。

     今述べたように、ミンギュウは平凡なキャラクター、怒りや笑いなど自分の感情をそのまますぐに表現するような強烈なキャラクターではないから、芝居を引っ張るにはある程度限界が存在する。ひとつ間違えば、劇全体が縮む恐れさえある。にもかかわらず、無理なくスムーズに演じた俳優を称賛したい。

     芝居の完成度を決定する要素は様々なものがあるが、細かい部分の完成度を上げるのは舞台中央で演じる俳優ではなく、舞台のへりで、一見、人目を引かない俳優たちがどれだけ表現するかにあろう。観客の目を引かなくてもそれぞれのエネルギーを存分に発散すれば、芝居の完成度はぐんと高まる。
    その点で言うと今回の公演は、完成度の高い作品であったと言える。頑張って走る男女高校生や凧を揚げる父親など、隅々まで神経のよく行き届いた舞台であった。

    5. 劇のはじめに母とミンギュウの会話を通して、神は存在するかというこの作品の問いかけが提示された。家族と別れて労働運動をするミンギュウの父、自分の人生を男たちに台無しにされたミンギュウの叔母、世の軽薄を叫びながら海に飛び込んだ高校生カップル。自分のために生きたことのないジェシカと彼女によって全てを得、また彼女によって全てを失ったミンギュウに至るまで、登場人物はすべて、悲惨な人生を過ごした人たちだったが、考えてみれば、日常どにでも見かける人たちばかりであった。彼らが断崖に立ったとき、神様はいたのだろうか。

     開幕してから10分ほど、これは彼らに神はいたのかを問う作品だろうと思っていた。
     父は凧をより遠く揚げるためには長い糸が必要だと言った。それぞれの人が星に向かって祈るシーンもあった。香を焚き、禮をあげるシーンでは香の香りが漂ってきて、妙(たえ)なる雰囲気が演出されていた。また、タイトルで強く印象づけられていた靴は、この世を去っていった者の遺品であり、先に述べた神は在るかの問いに自(おの)ずと結びつかざるを得なかったからだった。最後の、靴を持ち主に返送するためラッピングしていたシーンでも仏教の輪廻思想が思い浮かんできた。
     しかし、芝居が進行するにつれて次第に、それは私の勘違いかも?と思えてきた。
     凧と香、星、靴といった象徴的な物と、劇の主題との関連が曖昧に思えてきたからだ。各シーンで交わされた象徴的な会話や象徴的な行為の印象は、象徴的なタイトルも含めて極めて強烈だったが、それぞれが劇全体とどう関連しているか?疑問が湧いてきた。、

    6. 最後、ミンギュウは再びこの世に戻ろうとし、他の人達はそれを許さない。ただ一人、彼の母だけが彼を抱きしめてくれた。結局、母が神様ではなかったかという答えを出して芝居は終わった

     もし、この作品の意図が答えを提示するより観客に考えさせようとすることにあったとしたら?と再考してみた。 しかしそれにしては、最後のシーン。急に答えを出したのが腑に落ちない。
     逆にもし、最初から答えを提示しようとの意図があったとしたら、どうか。神は存在するかの問いから最後の、母が神だったに至るまで、その過程は。あまりにも遠回りしすぎだったのではないだろうか。

    7. パクジャンリョル演出の作品を観たのはこれで三回目である。この三つの作品はどれも`女性`について語る部分が多く、その男性中心ではない目線が私には好ましかった。
     今回もジェシカを通して自分のために生きたことのない女性を描き、彼女が工場に火を放った行動にさえ無理ないことと理解を示していた。その目線は、彼が女性をどう見ているかがよく分かるものだったと言えよう。
    | 劇評 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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