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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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劇団ファム(厳岩)「こくはく喫茶店」fromソウル............西村博子
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    ――若い世代、新しい方法の「こくはく(黒白/告白)喫茶店」――

     タイニイアリスに入ろうとしたら、なぜかその入口にキャンバスと絵具が置いてあって、何か描 いてからお入り下さいとあった。首を傾げながらとりあえずcrazy兎の顔を描いて中に入った。私はcrazy兎だからである。
     やがて舞台が明るくなると、観客たちの様々な筆の入ったそのキャンバスが舞台に出ていて、本を読みながら客待ちしていた喫茶店の店主(鄭聖錫)が やおら立ち上がるとそのキャンバスに絵筆を加え始めた。アラ!と思った。キャンバスは見る見る演じるものと観るものとの合作となっていったからだった。
     次いで店主は金魚に餌を撒き始めた。それも、観客席に向かって下手から上手へずっーとなので、客席すべてが大きな金魚鉢ということになった。時々彼は餌を、観客を見ながら放り投げてもくれたので、目が合った!と勝手に思いこんだ私はすっかり嬉しくなって、餌を求める金魚気分 。すっと舞台に吸い寄せられていった。こんなに面白い、変わった幕開きに出会ったのは初めてだった。
     Alice Festivalの最後は、朴章烈作・演出「0430 家を離れる」(演劇集団反)、朴根亨作・演出「満州戦線」(劇団コロモッキル)、それに車賢錫作・演出「こくはく喫茶店」(劇団厳岩)。いずれも社会、歴史への関心を底に秘め、自分の今表現したいことにこだわった、それぞれ特色ある,素敵な舞台たちの連続的な公演で終わった。あれこれ他の作品を選んでただ演出するというのでなく、3作とも全力投球の創作劇であったことも申し分ない素晴らしさだった。Tiny Aliceはほんとにほんとに幸せな小劇場である。
     中でも、いちばん最後の車賢錫さんは東京では全く知られていない、いわば新人であり、すでに韓国の演劇界に確固たる地位を占めておられ、来演の数多く日本でも有名な朴章烈、朴根亨両氏とは異なって、まるで彗星のような突然の出現だった。
     もちろん、韓国のIMF(バブル経済)以来の歴史が切れ切れに頭に浮かんで、撃ち殺し抹殺してしまいたいほどの衝動に駆られる青年を描いた「0430 家を離れる」、あるいは、日本の満州統治時代、留学生だった曽祖父の部屋に曾孫の青年が出入りして過ぎ去った歴史が現在の権力につながっていることを異化的に描いた「満州戦線」――両作ともに工夫を凝らした緻密な作劇術、巧みな演技で申し分ない舞台であった。が、それに続いた「こくはく喫茶店」は、それとも全く異なる新鮮な創り方で、これまでにない若い世代がついに登場!という感を深くした。
      ※
     「こくはく喫茶店」の何が新鮮、何が今までにない創作方法だったかと言うと、喫茶店の店主と訪れてくる客が、舞台の上で、観客の目の前で変化した、ということである。
     そこは訪れてくる客の精神障害の相談に乗ろう、治癒の手助けをしようと開いている喫茶店。おずおずと入って来た内気そうな客(尹湘皓)とコーヒーを淹れて先ずリラックスさせようとする親切な店主から始まっていった。その二人がやがて、かつて学生デモ盛んな時代に検挙された元学生と取り調べた元刑事だったということが判ってくるのだ。元学生の客は拳銃を構え、今にも引き金引こうとする。激しい揉み合いの末、さすがは元刑事、店主はやっと、しかし巧みに客の両手を拘束する。そして、どんなふうにされたと問われて客が椅子に腰を下ろす。と、それはそのまま縛りつけられた昔の学生となり、拳銃を取り上げた刑事はそれを突きつけながらサア撃ってみろと学生を脅し、学生は震えあがり、刑事は今にもぶっ放しそうになり……喫茶店の、その相対する二つの椅子は、かつての取り調べ室の自白強要の時さながらに変貌していったのだった。
     幕開きに店主がコーヒーを淹れながらかけたレコードが、ただグルグル廻っているだけで音楽が場内に流れなくなったのも、拷問によって聴力を失った元学生を説明なしで観客に伝えようとした極めて実験的な試みであった。
     登場人物が昔どんな人間であったか、どんなことをしたか、過去をせりふで言うことはよくあること。私たちもそれを聞いて何となく信じて疑わないことにしてきた。しかし目の前の人間が見る間に過去の人間へ、その人間関係へと変貌していくのを目撃したのは、東アジアの演劇としては初めてのことだった、と思う。ギリシャ劇以来の、どう行動するかで人間を描こうとするdramaと違って、人間の状況や性格などを時を追って描いていく、いわば年代記的作劇術を得意とする韓国や日本では極めて珍しい舞台だった。
     新しい世代の登場と感じたのは、これまで誰も思いつきもしなかったであろう幕開きの巧みさ、面白さ、レコードプレイヤーの秘かな試みと、そしてこの人間変貌を目撃したためだった。
       ※
     かつての刑事が現在の喫茶店主に戻り、無実にも関わらず検束され拷問を受けて自白してしまったという元学生が普通の客に戻ってからだが、もしもdramaだったら変貌する前と後とでは人間が質的に変わっている――はずだが、舞台はそうなってはいなかった。私はどう受け取っていいか迷ったので、翌日喫茶店で車賢錫さんに終わりはどうなった?とちょっと聞いてみた。
     すると車さんの答えは、舞台終わって鄭聖錫さんと尹湘皓さんのカーテンコール。観客席に一礼したあと、喫茶店のテーブルの上にコーヒー茶碗が2つポツンと残っている。あれが終わりです。観客に考えて欲しい、と。
     なるほど。従来の年代記的作劇術に比べてドラマティックであったとしても別にdramaでなければならない必要はない。
     鄭聖錫さんと尹湘皓さんが店主と客に戻ってからだが、実は客の尹湘皓さん、この喫茶店に来る前に派出所に寄って殺人事件が起こるから警官に来て欲しいと頼んで来ていたということが判る。本当に殺す気で喫茶店に来ていたのだったことがこれからも裏づけられた。そしてそれから尹湘皓さんは早く来てくれと請求電話かけるし、鄭聖錫さんは慌ててそれを打ち消す電話をするしのひと騒ぎがあった。もちろん警官は来ようともしない。その、決して市民を守ろうとはしない警察に、アレ、昔も今も同じだなあと感じたことを思い出しながら私は、あのテーブルのコーヒー茶碗は、不当な扱いを受けたのは決して一人だけじゃない、次の客が来るのを待っているって感じたんだけど?と尋ねてみた。車さんは、それもいいでしょうと肯定してくれた。
     決してせりふで説明しようとしないで観る人の受取るがままに任せようとする車さんの方法は、演劇として本道。本来こうなくてはならない。が、あの店主はこれからどうするのだろう? 客はこれでもう復讐を諦めたのだろうか? 満足したのだろうか? この後半は字幕のセリフに頼らなくちゃならないせいもあって、私に判りにくかった。ここがもう少し鮮明だったらカーテンコールのあとのコーヒー茶碗の感じ方に、私はもっと自信が持てたかも知れない。
     もちろんコーヒー茶碗も車さんの新しい試みの一つ。こういう方法は果たして有効か、これからもぜひ実験を続けていって欲しいと思った。
       ※
     次の世代が生れてきたという確実な予感。鄭聖錫さん、尹湘皓さんの魅力的な演技。もう言うことなしの大満足だけれど、ちょっとだけつけ加えると、金魚に餌をやる前までの幕開けが少々長いと感じられたこと。観客としてはこの喫茶店が客の少ない暇な店だと感じたくないので、もっと店主がキャンバスに熱中して描いたら?と思った。何を何のために描くべきかも考える必要があるだろう。タイニイアリスのようにちっちゃな空間なら、コーヒーの香りで満たすのも時間を短く感じさせるひとつの方法かも知れない。
     後半、今日は店主の奥さんの命日、これから墓参りに行く予定といったせりふが確かあったけれど、これは出来れば削除して欲しいと思った。今舞台で目撃したことが特別な日の、たまたま特別な出来事だったと感じたくなかったから。決して過去の一例ではなくよくある出来事かもしれないからだ。
     打ち上げのお酒の席で、東京の演劇界の長老R氏が車さんに向かって、俳優をもっと年配の人にすると良いとアドバイスしていた。そのとき横で黙って聞いていたけれど、私は内心大反対だったことを今ついでにコクハクしておきたい。Rの意見は、反政府デモは30年前だから年配のひとが演るべきだという従来のリアリズム劇の常識に過ぎない。過去をただ過去としてリアルに演ろうというわけだ。しかし、鄭聖錫さん、尹湘皓さんが“ミナ ミッセヨ”の美少年だからこそ観客は舞台に魅きつけられたのだし、これが決して過去ではなく、これからの若い世代にも?と感じることができたのだった。車さんはそのとき、ただフンフンと聞き流していたように私には思われたので、私は安心している。

     車賢錫さん、ぜひこうしたいろいろな方法をたくさん試して、観るひとの感性をより豊かにしていって下さるように――。これが私の望みです。    (2015.3.30所見)
    | 劇評 | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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