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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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THEATRE ATMAN「水の記憶」__西村博子
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     近頃珍しい古風な作劇術の芝居に出会った。李哉尚作・演出「水の記憶」である。
    日本のATMANと韓国仁川のMIR Repertoryの俳優が同作品をそれぞれ、日本語と韓国語とで続けて上演するという、観客の日本人にも韓国人にも親切な演り方だ。どちらを先に見てもいい、2本同じ料金で見られるとのことだったので、日本語しか判らない私は先ず日本語版のほうを見て、それから字幕なしの韓国版を見た。もちろん俳優はすっかり替わっていたが、装置は同じ、俳優の立ち居地、出入り、消えものなども殆ど違いなかったので、今までの韓国からの来日公演と違って、いちいち字幕に目を取られることなく演技に集中して観ることができたので、とても愉しかった。
    舞台は韓国のどこかの山荘、主として3脚の椅子とテーブルのあるその庭先。一人の可愛い娘の、ここの田舎暮らしに満足しているという独り言から始まっていった。今日は娘の誕生日。山荘の支配人が出てきて娘のお誕生祝いの用意が始まる。そこへ、先ず旅行鞄を持った都会の男が泊まりに来て、次に裕福そうな地主が秘書と使用人を従えて訪れてくる。男は昔この地に居たらしく何かを見に来た(何だったか聞き洩らしたが)といい、地主は、今日は娘の誕生日だからそれを祝いに来たのだという。
    近頃珍しいと言ったのは、主要な登場人物が出揃ってからのそれからの展開だ。この庭先で実際に起こったこと、行われたことはと言ったら、娘がお祝いの大きな苺ケーキを切り分け、おめでとうとみんなで食べたことぐらいか。あとは主として宿泊客の男と支配人、あるいは地主と支配人、あるいは宿泊客と地主との、代わる代わるの次第に激しくなっていく会話のやりとりだった。地主は居ない、もう帰ったというその翌朝も同様、同じく帰っていこうとする客が庭に出てくると再び、殆ど支配人と客との会話で終始した。
    そして、それらの多くの会話から次第に判ってきたことはと言うと、この山荘の麓?か近くの村が10年前に水没の憂き目にあっていたこと、それは、村人は全員が反対したにも関わらず土地の2分の1を所有していた地主が賛成したため実行されたのであったこと、この山荘はその貯水池?かダム?かが造られたとき地主がその高台に建てたものだったということなどであった。ほかにも、支配人はその時土地を失った村人のひとりだったこと、娘も旅行客も実は地主と密接なつながりの血縁関係にあったこと(三人がどんな繋がりだったか今記憶に残ってないが)――なども次第に明らかになってきたのだった。舞台の上で進行していったのはほとんどが過去についての会話であり、それによって過去の出来事、地主と娘、客、支配人との互いの関係が次第に判ってくるというものだった。

    日本でも60年代以前、いわゆる“新劇”の時代には登場人物たちが過去について話すということはよくあった。観客も登場人物が話す過去を疑わずそのまま受け入れた。舞台に立っている人間が何をするか、あるいは何をしたかを理解するのに役立てたのだ。が、これほど僅かの現在とこれほどたっぷりの過去とから成る作品はちょっと思い当たらない。
    観客がいちばん観たいのは現在であり、それにつながる未来ではないかと思う。しかしこの「水の記憶」は過去が明らかになったところで終わり、それからとくに何も起こらなかった。とくに地主と客との間、支配人と客との間でだが、熱の籠もったあるいは長い早口のやりとりが多かったので聞き逃し、聞き違いあったかもだが、舞台は今後について何も示唆することなく終わった。翌朝、地主はもう居なかったし、支配人も確か地主のあとを追って山荘に居なくなると聞いた。
    ここでちょっと冗談を言うと、観終わったときタイトルを「二十歳の誕生日」としても良かったのでは?と思ったこと。この日誕生日を迎えた娘は、誰も居なくなったこの山荘を受け継ぎ、これから経営していくに違いないからである。地主とたまたま宿泊客とが来てくれたお蔭で娘は将来を保障され独立できる、つまり大人なれるからだ(宿泊客も決心次第では都会に帰らず山荘で暮らすかも知れない)。もちろん地主はこれからも裕福、生活の心配などないし、地主の後を追った支配人の将来も安心。いちばん気の毒、損したままなのは10年前に住むところ働く土地を失った村人たちだから、終わったとき、やっぱり常日頃、権力を持つものを崇(あが)めその言うことはよく聞かなくちゃねと、ついつい毒舌の一つも呟きそうだった。
    もちろんお馬鹿なことを思ったのはお馬鹿な私ぐらいだったに違いない。両劇団の俳優たちの全身全霊籠めた熱演に、カーテンコールは客席の長い拍手で熱かった。
    遠くは富山の黒部ダム。それから岐阜の徳山、高知の早明浦(さめうら)等々。近くは群馬の八(やんば)か。日本では政府の政策に沿って住民たちの強い反対を押し切り、多くの水力発電所、貯水池が造成されてきた。が、私たちは多くの村々が水底に沈んだことを忘れるともなく忘れてきた。「水の記憶」の場合、“国”という言葉は一度出たと思うけれどそれ以上の言及はなくすべて大地主のせいとされてはいたし、発電か農業貯水か都会への給水か水没の目的もちょっとわからなかったけれども、日本に居る私たちに問題の喚起力は大きかった。私たちの「水の記憶」が蘇ったからである。
    今の鹿児島の川内(せんだい)原発再稼動、沖縄の辺野古(へのこ)基地建設も、住民の意見なんかより国の政策のほうが決定力を持つという問題にも通底している。折角の過去の、あるいは歴史の「記憶」、韓国社会の問題の一つではなかったのだろうか、それとも李哉尚自身のたまたまの見聞、近親へのお祝いに過ぎなかったのだろうか。チラシにこの九月、李哉尚の本拠・仁川で再びATMANとMIR Repertoryの同日公演があるとあった。私はそっと創り手たちの再読を夢見ている。  (2015.8.9 atシアターシャイン)

    | 劇評 | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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