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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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京都芸術センタ−「国家 Nation국가」__西村博子
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    京都芸術センタ−から“成果発表公演”があるとの招待状をもらい、好奇心抑え切れず新幹線に飛び乗った。作品は招聘アーティストのユン・ハンソル原案・演出になる「国家 Nation국가」。チラシに彼の “そもそも「国民」とは、「国家」とは何なのか”という問いかけが載っていたからである。そのチラシも全体的に“教員定数の削減は、安倍総理の外国訪問回数、地域主権型道州制の導入、拉致被害者全員の早期帰国、過去最悪の米価下落、非正規雇用、日本再建……”その他その他、今の日本を表す様々な言葉たちでデザインされていた。
     

    この3月から4月にかけて、同じく韓国のパク・ジャンリョル(朴章烈)作・演出「0430家を離れる」(演劇集団反)、パク・グニャン(朴根亨)作・演出「満州戦線」(コルモッキル)、チャ・ヒョンソク(車賢錫)作・演出「黒白(こくはく)喫茶店」(劇団ファム)と、それぞれ取り上げた対象、時代も描く手法もまったく異なっていたけれども、自分の国や社会、その歴史やそれを受け入れている自分たち自身を凝視(みつ)める優れた作品を見ることができた。こうした、創り手が自分自身に体当たりするような作品は日本ではなかなかお目にかかれないから、期待はいや増した。
    今度の「国家」もそうした範疇の作品では?の期待はしかし、残念ながら外れたと言わなければならない。今回は演出が自分の国、自分自身を見るのでなく、日本の俳優たちにそうさせようとしたから?だろうか。
    導かれた空間は廃校以前、講堂ででもあったろうか広くて、真ん中に天井から大きな四角の映像が床に投射されていてその四方を観客席が取り囲むというなかなか斬新なものだった。気づくと俳優たちも観客席のあちこちに座っていて、前半は、その俳優たちが代わる代わる話していくという構成だった。俳優の言葉は誰かに書かれた台詞(せりふ)ではなく俳優自身が見つけてきた言葉だったとアフタートークで聞いた。俳優たちはすべてノーメイク、観客と見分けのつかない普通の服装だったから、全体的に、俳優が演ずる舞台というより観客が代わる代わる立ち上がって発言していくといった感じにしようとしたに違いない。
    そのアフタートークで演出は、自分の仕事はつねに俳優との“共同作業”、今回は初めて“参加者の言葉の展示”にトライしたとも話した。俳優たちがそれぞれ自分の言葉を探し、それが決まるまでにはどんなに大変だったか時間が要ったか、とも話した。その、自分の言葉を探すというワークショップに参加した6人の俳優たちも演出の要求に応えるのがどんなに難しいことだったか、しかしその大変な仕事が自分にとってどんなに有益な体験だったかをこもごも話した。
    他にみない方法に挑戦した演出は素敵だ。演劇(この場合、アートと言うべきか)を単なるエンタメと考えず、自分たちが本当に表現したいこと伝えたいことは何かを探ろうとする一つの果敢な試みだったと言えよう。成功すれば演劇を変えるだけでなく世界の変革へとつながるに違いない。今後俳優たちがこの方法を継いでいくかどうかは判らないが、少なくとも今度台本もらって出演するとなったときに与えられた台詞とどう向き合うか、おそらく大きな課題を受け取ったに違いない。
    が、観客の私のほうはと言うと、そうはうまくいかなかった。初め社会における女性差別について話し始めたので、ヘエこれはまた珍しい切り口、そうした経験なら一杯知ってるよと私は聴耳たてたのだが、それはそれでお仕舞い。あとで他の女優がまた軽く触れはしたがそれ以上深められるということもなく通り過ぎていった。順次立ち上がって話していく俳優たちも同様、それぞれがそれぞれの関心を話し、床の映像が話に合わせて次々と変わっていった。判りやすい一例を挙げると、俳優がかつて読んで印象に残ったという本の一節を口にするとそのページが床に投射され、次の俳優が同じように自分の読んだ本の一節を挙げるとそのページが映るといった具合だ。俳優は交代するたびに異なる話題、それへの関心を話すので、聴くほうも結構忙しい。次から次へと変わる話題に聴き手はそれについて内心を問う間もなくどんどん耳を通り抜けていくしかなかった。
    恐らく話す人にとっては大事な言葉たちだったに違いない。聞き流しては申し訳ないと思って途中から頑張ってメモを取り始めたのだが、それもほとんど役に立たなかった。終演後喫茶店に入ってそれらのメモを見直してみたがやはり、それぞれの話がどうNationと関わっているか、それを変革するために何ができるか、漠然としていた。英語のNationを日本語に訳すと国家、国民など。決して一語にはならない言葉だから、演出の今回の方法は、俳優たちを国民と見立て、その言葉たちを聴くものの、国家はこのままでいいかの問いと繋げようとしたのではないかなあと推測された。が、それ以上具体的に伝わってくるものはなかった。
    俳優たちの多くの言葉は、床に“演劇実験”という文字が写されデモが映されて、終わった。前者は俳優たちのここまでしてきたことのまとめというかネーミングであり、後者は、俳優たちが今まで触れなかった、あるいは演出が触れさせなかった、安倍内閣の安全保障法案・集団自衛権に対して国会前で抗議する大勢の人々だった。次の場への橋渡しだったのだろうか。それとも私たち日本国民への、今度の参院選にはしっかり投票するようにとの演出からの無言のメッセージだったのだろうか。

    作品全体は大きく二つのパートから成っていて、それまでの“言葉の展示”が終わると次は選挙だった。韓国の大統領候補4人(パク・クネ大統領の次の大統領候補者たちだろうか)の顔と経歴と思われる文字が床に映され、神戸大学の木村幹教授から4人それぞれについてざっとした紹介があり、それから観客たちに投票用紙が配られ、床の真ん中に捺印するための大きなブースが運び込まれ、各自投票するよう促された。韓国では日本と違って、候補者の名を書くのではなく選ぶ人の欄にただ印を捺すのだろうか。とにかく言われた通り観客たちが席を立って列に並び、めいめい投票し、それが終わると投票結果の発表があって「国家 Nation국가」は終わった。1位に当選したのは木村教授の解説によると4人の中ではいちばん民主的そうな感じがした候補者だったが、別に演出から結果についてのコメントがあったわけではない。促されて観客が投票するという行為それ自体がこの場のメインだった。
    なるほど日本の、小選挙区制と一票の格差大きい憲法違反の投票権とに基づいた総裁選出より、国民の直接投票による韓国の大統領選のほうが良さそうだった。が、世界には非道い大統領も決して少なくないから投票制度を変えるだけでは日本の国家は変わらないに違いない。韓国には国民の不満、抗議デモなどはないのだろうか……などと考えないわけにはいかなかった。
    おそらく演出はここで、日本にない選挙制度を紹介したかったというわけではないのだろう。俳優たちもいっしょに投票したかどうかはつい見逃してしまったけれど、観客も俳優と同じ参加者。ただ観客でいて欲しくないということを示した、あるいは体験させようとしたのに違いないと思った。観客参加の一つの実験である。
     
    多くの“言葉の展示”と観客の体験とからなるこの作品、まさに演出の手法実験だったと言っていい。しかし「国家 Nation국가」というタイトル、その強い問題提起にふさわしい何かが表現されたか、受け取ることが出来たかを振りかえってみると、やはり残念ながら肯定的な答えは出てこなかった。
    アフタートークでユン・ハンソルはこの創り方は今回が初めてだと話した。あとで読んだパンフレットにも彼は既存の演劇を疑いつねに新しい方法を試みてきたこと、この作品もメンバーとの「共同作業」であったことなどを語っていたから、作品をメンバー、俳優たちとだけでなく、観客との「共同作業」にもしようとしたこと――これが今回の新しい試みだったと言っていいようだ。
    彼はさらに、俳優といっしょにした言葉選びについて「記事や小説の一部」「様々な文章」を「ある時は論理的に、またある時はでたらめにかけ合わせることで、文章同士の対立を引き起こ」したり「観客に実際の文章とは異なる感覚を与え」ようとしたと語っていたが、俳優たちの言葉はほんとにそういう力を持っていたのだろうか。促されて投票するという行動に参加した観客たちは日本を変えるために少しでも能動的に行動できるようになっただろうか。アフタートーク、演出と俳優のコメントが終わると、次いでこの劇に“参加”した私たちに発言が求められた。二,三観客からの感想はあったが、主として創り方、方法についてだったと記憶している。“そもそも「国民」とは、「国家」とは何なのか”――ユン・ハンソルの再挑戦を期待したい。
    チラシやパンフレットには彼の来日前の作品たちが数々の賞を得ていたことも紹介されていた。写真とタイトルからだけだったが、それらの作品は彼が自分の国の国家や国民の問題に自身正面から体当たりしたものではなかったかと想像された。私は俄然それらの作品も観たくなってしまった。 (2015.8.2所見 a t京都芸術センタ−)
    | 劇評 | 08:12 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    タイニイアリスの暗部

    この歴史は忘れてはならない。

    僕の逆転裁判 タイニイアリス でググってください。

    http://yaplog.jp/suemitsu/archive/2061
    | タイニイアリスの暗部 | 2015/12/12 9:52 PM |










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