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  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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ヤン ペーシック「存在しないが存在可能な〜」__明 成俊
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     ヤン・ペーシック一人芝居「存在しないが存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ」を見た。ポーランドからシアターXへ3度目の来日という。

     Avant-garde.前衛を意味するフランス語で、革新的あるいはその立場にある芸術家を指す言葉である。この “アヴァンギャルド”は、創るものから言えば伝統や慣習などあらゆる固定観念の解体に向けて自分の芸術を世の中に投げ込むこと。観客から言えば、既存の方法、方式を拒否し、新たな魅力を生み出すアヴァンギャルドは一言でいえば「新鮮」であろう。

     しかしこの「新鮮」さも、時代があるいは現体制がこの芸術を受け入れると色彩が薄くなる。繰り返しによって慣れてくるに従って、同時代の人々が飽きてしまうからかもしれない。いずれにせよ「新鮮」は力を失う。

     それなのに俳優ヤン・ペーシェクは、この「存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ」を1976年の初演以来43年、今もアヴァンギャルドを標榜し、この一人芝居を演じ続けているというのだ。

     

     

     舞台は教授が芸術論を講義するという形で進んでいった。しかし字幕なしだったので、ポーランド語を理解することができない私はもっぱら俳優の動きや表情に目を向け集中するしかなかったのだが、芸術論という重い主題を語っているというセリフとは正反対のヤン・ペーシックの愉快な身体の動き、声と、そのコントラスト(対比)が劇のテーマであると感じた。この対比を通じて、意識を刺されたような刺激を受けた。

     舞台にある様々な装置、理解できなかったポーランド語のセリフについてはあまり語れないし語る気もない。りんごを齧ってしまったのは禁断の木の実を食べたアダムとイヴ、つまり音楽、ないしはアヴァンギャルド芸術を志してしまったことを意味していたのか、登りたいけどなかなか登れなかったはしごは世間の名声を手に入れたい欲望を示していたのか――公演後のロビー、ヤン・ペーシックの、作者ポグスワフ・シャフェルとのそもそもの関係や舞台を立ち上げていくまでの経緯などを話してくれた率直なスピーチに耳を傾けながら、私の想像はさらに飛翔した。机の上にあった米が下へ落ちたことや、結局弾かれなかったチェロの存在が何を意味していたのかなど、なお考えるべき課題は沢山残っているけれども……。

     

     台本(入市 翔訳)がロビーで販売されていた。字幕をつけない海外からの公演に、手に入れやすい値段(200円!)は観るものにとても親切だった。帰宅してから読んで理解できたとは到底言えないのは残念だったけれども、である。(おそらく訳語は、読むもの聴くものに何を伝えるかより、元のポーランド語の一語一語に忠実すぎたのだろうと想像される。)

     舞台はやはり、セリフの意味を伝えるより、セリフと俳優のすることなすこととのコントラストに重点が置かれていたのだ、と確信した。

     

     とくにアヴァンギャルド的な作品だとは感じなかったが、それはいろいろな舞台も経験した今、時代のせいだろう。しかし、初演当時の舞台の新鮮さは40年以上過ぎた現在もなお保たれていると思った。これは、俳優ヤン・ペーシックの演技の力だったに違いない。 (2019.7.7

     

    | 劇評 | 05:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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