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☆Alice's Review☆

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遊牧管理人「ヒマワリ−鰐を飼う人」__西村博子
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     作・演出の広瀬格。力のある人だと思った。なぜかひとの心の中がわかってしまう、と思っていたら、その「ひと」はぜんぶ自分だった!――なんて、複雑骨折気味の人間にはひょっとして私のこと??? ドキッとするようなテーマ。それを、心中を吐露したり台詞で説明するなんて下手なこと一切なし、劇の展開で伝えていく作といい、缶蹴り、鬼ごっこ、もぐら叩き、家族ごっこに兄妹ごっこ……それも俳優の役割をどんどん交替させてお父さんが次から次へと出てきたりお兄さんが次々と出てきたり、テンポよく繰り出す遊びで客をほどよく混乱させたり笑わせたりしながら見せていく演出といい、なまなかの凡手ではない。

     真中に四角の二重があるだけの舞台。役者は自分しか頼るものがないから大変といえば大変だが、一人一人にちゃんと「しどころ」が設定されているから、役者は安心してただ自分の魅力を競えばいい。そして実際、役者8人。よく通る声、よく動く体でよく広瀬の求めに応え、生き生きと楽しんでいた。PlayはPlay――芝居は遊び、遊びは芝居。新たなる挑戦のいよいよ始動開始であった。

     これだけ書いたらもう言うことなし。ほんとに楽しかった、ありがとう。

     なのだけれど、折角の才能、一つ聞いていいかしら? 初めパジャマ姿の引きこもり少女とそれを四方から囲むチャット仲間4人。当然この少女が主人公と思っていた。やがて少女と同居しているという編集者らしきOLがしも手後方から何気なく出てきて、少女に問いかける。が、答えてはくれず、内心をいいあてられてしまう。彼女は少女を追っていって、隔離された部屋での少女とチャット仲間たちの治療ゲームにつき纏い、医者に会い、官僚的な看護婦にも会い、医者も実は少女たちと同じ病気とわかっていき……するうち、少女は彼女の兄にそっくりだなどという台詞もあったと思うが、いつの間にやら少女はどうでもよくなっていて、OL自身が、編集の仕事していたなんてまったくの彼女の思い込み。少女もチャット仲間もみ〜んな彼女自身の一部だった――ということになる。この、いわば普通の作劇法にないずらし方も作・演出の、わざとの採用であったのだろうか。

     多重人格を初めて描いたのは三谷幸喜の秀作「出口なし!」だと思うが、あれも、役者は役になりきるのかそれとも役を引き寄せるのかというメタシアター的な問いかけを含み、自分は何者かの問いかけを含みながら、役者は病人、と思ったら医者も病人、と思ったら健常者のほうが実は病者だった、と思ったらやっぱり役者は役者で日常に変わりなしといったどんでん返しの連続で、ずいぶん面白かった。この「ひまわり」が三谷と異なるところは、さらに“遊ぶ”ということにこだわったことであろう。

     だが、「出口なし!」にあった哀しみが「ひまわり」にまるでなかったのはどうしてだろう。たしかに作中読まれた「鰐」のお噺は哀しかった。鰐は、誰にも会わずに川の中にいて、淋しくてたまらず外に出て行ったが、やっぱり淋しくて川に帰ってきてしまった……たしかそういう筋だった。彼女の父が兄に――彼女自身にだったかも知れない――残していったお噺だったという。

     ひょっとしたら、と私は思った。鰐の噺はたしかに時代の哀しみだ。しかし「出口なし!」の主人公東馬の多重人格が、どうしてもそれから目を背けなければいられない自分自身の傷であったのとちがって、父から子へと伝わるものにしろ、時代一般のそれだったからではないかと。“遊び”もしたがって家族やゲームの役割交替はあっても、彼女自身に触れることはなかったから、ではないかと。

     才能に径庭はない。おそらく、どこか他人事の、時代のせいにちがいない。(05.04.24)

    アリス インタビュー⇒<広瀬格さん>構成:北嶋孝/青木理恵)
    | 劇評 | 05:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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