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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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プリンアラモード鯖「DOCK’N DOCK’N」 __西村博子
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    「僕はフリーターです。夜間のアルバイトをして暮らしているフリーターです」――開演前のちょっとした時間に読んだ作・演出細川貴史の「鯖のたわごと」は、こんな書き出しから始まっていた。それは、バイト帰りにコンビニの前でタバコを吸っていたら、ホームレスのおっちゃんから声をかけられたときのこと。たとえそれが知人でも心の準備がなかったら「しどろもどろのこんにゃく」になってしまうという細川は「その場にフリーズ」。タバコ1本やっと渡すと一目散に逃げ出したというのだ。東京なんか出てくるんじゃなかった。これから用のないところに絶対立ち止まらないぞ。人生を投げたりしないぞ……と「あらゆる後悔をしながら」。

     だから「DOCK’N DOCK’N」は、自閉的というか、ひととうまくコンタクトのとれないこうした人間の内心が描かれていくものと、なんとなく思っていた。

    ところがそうじゃなくて、舞台は真反対。後半、フリーター(Sudou Junpei)は、ホームレスやバイト仲間の体にズブリとナイフを突き刺したり消火器やスパナで頭を叩き割ったり死体を引きずってきて首を切り離したり……血まみれの残虐シーンとなっていく。そう言えば冒頭からしてそのフリーター、ホームレス(TATSUYA)の求めに応じて最後の一服を吸わせると、いきなりその体に石油をふりまき火をつけていた。

    実際にしたことはない。が、人間のなかにひそむこの衝動、「わかる」と私は思った。もしもそうできたら! おそらく言い知れぬ快感が身内を走るにちがいない――。

    「夢の島」という看板のかかったそこは、東京都民の実際のゴミ集積場だったりJR新宿駅?構内だったり、人を殺したフリーターの脳裏に浮かぶ文字どおりの「夢」の場だったりするのだが、そこに出てくるフリーターたちは、クリーナーや掃除具に妙な別名つけて人にもそう呼べと強制するひとりの清掃フリーターを除けば、そううまく描かれている、という気はしなかった。ホームレスたちもそう。なぜ彼が殺してやりたいほどの憎悪を感じたか伝わってこなかった。擬似家庭を作っているホームレスたちの、過去のいきさつが描かれていくときなど――それはそれで、妻役のMorikawa Eriや息子役をしている少女Saito Mayukoが歌ったり踊ったり魅力的で楽しかったけれども――、こんなことしてないで、そのホームレスたちが殺されてなぜ当然か、そこにもっともっと筆を割けばいいのにとやきもきした。

    なぜフリーターが同じフリーター仲間やホームレスを殺したかったか、殺して当然か。それは彼らがフリーター自身、その可能性だから――にちがいない。細川貴史は知らない。私はそう思った。

    作・演出の細川貴史がどんな人か、客席にただ坐っていただけの私は知らない。だがこの荒削りの作品の中に、現実には逃げてしまっていたのに、しかしその逃げた自分自身のなかに確かに在ったものを、みごとに探り出した、「創る」ものとしてのカンの良さ、その未来の可能性を強く感じた。

    最後に、生き残ったホームレス(Sugi Yousuke)と少女が、ほとんど唐突にと言っていいが、抱き合う。そのときドックン、ドックンと血の流れる音がスピーカーから聞こえてきた。おそらくこの心臓の音は、細川貴史の生きてゆきたいという祈りであったにちがいない。もしこの音が、主人公のフリーターが兇器を握り締め振りあげるときにも聞こえてきていたらなあ、と思った。そのためには、殺されていくものたちが、決して見たくない自分自身であったこととともに、生き残ったものたちもまた自身の可能態、その一部であることがどこかで描かれなければならなかったであろうけれども。もしそうだったらと思った。この「DOCK’N DOCK’N」はさらに観るものの心を惹きつけたにちがいない、と。  (2005.02.26)

    | 劇評 | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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