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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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劇団鹿殺し「SALOMEEEEEEE!!!」__ 西村博子                               
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    予感に満ちた混沌の中からまだ何とも知れぬ、何か魅力的なものが、むくむくと立ち上がってくる――その瞬間に立ち会えることがオルターネイティブ・シアターを観るものの最高の幸せ、と私は思っているのだが、今回の丸尾丸一郎脚本・演出「SALOMEEEEEEE!!!」は、まさにそれであった。
    たまたま神戸KVACで、彼と座長の菜月チョビ(当時は髭の子チョビン)さんから「いつか東京へ行きたい」と声をかけてもらってからどれくらいになるだろう。送ってもらったビデオで大阪公演は見たし、東京初進出の王子小劇場も見たし、次の新宿ゴールデン街公演はミスってしまったけど、劇団鹿殺しの舞台はいちおう知ってる――気でいた。ここまで変貌するとは! まさか思ってもみない驚きであった。

    公演五日目。最初観たときまず驚いたのは、男優たちが、現代の高校生から古代パレスチナの王(というよりトランプのキングに近かったかな?)、タイガー・パンツまで衣装とっ替えひっ替え、歌って踊って床の水に滑ったり仰向けに引っくり返ったり、なぜか悪魔となってソクテンしたり、2時間余りを一気に駆け抜けていったこと。終わりのほう、サロメの菜月チョビが歌う「七色の光」が、それまでの男性陣の全力疾走もかっさらってしまうほど圧倒的だったこと、だった。歌い終わったサロメがイナバウァーみたいに身をそらすと、まるで阿国かぶきのラストみたいに聡踊りになっていく。

     暗転なしのスピーデイーな演出(チョビ)。たった5人の男優がその二倍にも三倍にも見えるフル回転。スペースが、身体同士ぶつかりゃしないか梁に頭をぶつけやしないか、ヒヤヒヤするほど狭かったことも彼らのエネルギーをいっそう溢れんばかりに感じさせたにちがいないが、これはもう役者と役者のパワー競べ、魅力争いというしかない舞台であった。ストーリーなんか少々辻褄合わなくたってそれが何だという強引さとともに、ふっと、肉体に賭け音楽劇を目指した初期唐十郎の舞台に――彼らの好きだというつかこうへいに、ではなく――想いが走った。

     ラクに二度目を観たとき、やっぱり役者一人ひとりに目を惹きつけられながら、しかしその一方でアレアレ、作品も意外によく書けてるワン、と気がついた。

     ときはいちおう2050年と設定されていたけれど、舞台はまぎれもない今日ただ今。「あっちに尻振りこっちに尻振り。NOと言えない日本人。NOと言えないふりしてイエスという」日本であった。世界から総すかん喰ってると聞いて、思わずクスリ。サロメはそういう日本の、黄色高校転入生。家も父も母も大ッ嫌いで、父は窓から突き落とし、殺された母の死体も平気で水槽に沈めさせる。いま毎日のようにテレビや新聞を賑わせる肉親殺しの一つだ。が、なぜかヨカマンに心惹かれるというところでオスカー・ワイルドのサロメと重なってくる。アニメかゲームかからの発想とか洩れ聞いたが、これまたなぜか、水槽の中にいる渡辺プレラのヨカマンが、水を掻いて浮き上がったり沈んだり、夜中にそっと真似したいくらい愉しかったので、サロメがなぜ彼に魅せられたか理屈抜きでうなづける。

     日本人に懺悔させようと布教に力入れるイエスマン(山本聡司)。そのキリスト教に改宗、名もヨカマンへと改めたヨカナン。その彼に恋するサロメ……とくると、もうちょっと、せっかくの世界情勢、日本論に重ねられるのでは?とか。でなければ、どうせ不条理。この「SALOMEEEEEEE!」のラクにちょうど発覚、マスコミに大きく報道された“平塚の五人殺し”、殺害された可愛い娘の利加香ちゃんがたまたま演劇好きだったから言うわけではないけれど、いっそのこと、もしヨカマンが演劇そのものの比喩だったら?などなど――観ながら欲ばりな想像が羽根広げなかった、と言えば嘘になる。

     が、そんな部分的な手直しはまた、創る力の衰えた再演、再々演のときにでもすればいい。この作品のまず第一のお手柄は、サロメが現代日本に生きている少女だった、というところにあろう。これまでにもサロメ劇の数は多いが、これは新しいサロメ受容と言えるのではないだろうか。少女はなぜか、ヨカマンのいる水槽の中に飛び込み、まるでそれまでとは別人のように生き生きと泳ぐ。そしてその楽しい、ほんのひとときのあと、ヨカマンが身を翻したとき、少女は彼の死を欲した、のであった。

    サロメがこうした、今いそうな家庭内殺人の少女だったことは非常に面白い発見であったが、それより私にとってもっと面白かったのは、エロド王であった。

     王ヘロデは、誰もがよく知るとおり、妻の連れ子のサロメを愛する。あるいは、手に入れようとする。が、この「SALOMEEEEEEE!!!」では、丸尾丸一郎はそういうエロド王であると同時に、現代の中国移民、高校生でもあった。ないまぜに演じていく。

     高校生丸尾丸もむろんサロメに心惹かれる。開幕そうそう、サロメと鉢合わせし互いに眼鏡にヒビが入ったのがきっかけだった。そしてその恋は、彼女が窓から手を振ってくれたらもうそれで十分というほどの純情。彼女のためなら何でもしようと何となく周りをうろうろ。実際、彼女の母親を刺し殺し、彼女の言うがままに死体を水槽に沈める。

     つまり、この劇を動かしていくものは一見サロメに見えて実は、エロド王と中国人高校生を往き来する、丸尾丸一郎であった。サロメの絶唱「七色の光」(丸尾丸作詞、オレノグラフィティ作曲)も、♪空も海も太陽も、君の横顔も輪郭も七色の光の幻」 ♪君の笑い声泣き真似さえも すべては空気の振るえ。部屋に帰ったら誰もいない。キッチンから君の笑い声。僕はほっとした。僕はほっとしたんだ」……少年丸尾丸の想いとしか言いようがない。

     俳優たちはみんな「新劇」のように心理を掘り下げたりなんかしないから、話はとんとん面白可笑しく進んでいくだけなのだが、かつてオスカー・ワイルドの「サロメ」をこんなふうに、女とみれば誰にでも手を出そうとする肉欲と、手の届かぬものを愛してしまった恋心と、その両方から見た作品はあっただろうか?と思った。

     この「SALOMEEEEEEE!!!」を「セカイ系」と分類した評をみかけた(http://jouissance.cocolog-nifty.com/)。「セカイ系」とは、「半ば破滅しかけている世界という大状況を背景としながらも、そこで描かれるのは個々人の極めてプライベートな感情(多くの場合男女の恋愛)であるという特異なジャンル」という。なるほどその通りであろう。

     が、内気な暴力少年=エロデ王は「日本を愛しているが、愛し方がわからない」と言っていた。実際、エロデ王も少年も、サロメに対して何をどうしていいか分からないのだ。小泉自民党が教育基本法に愛国心を入れようとやっきになっている今日このごろ、「セカイ系」と片づけてしまうには惜しいリアリティがあった。

    「サロメ」をというのは菜月チョビの発想で、それを丸尾丸一郎がウンウン脚本にしたのだとはアフタートークで知ったことだったが、なるほど、座長のチョビを愛し、しかしその愛し方を知らない丸尾丸の、あるいは劇団鹿殺しの、想いによってこの「SALOMEEEEEEE!!!」はできあがった、と言っていいようだ。

    それは、そもそも劇団鹿殺しという集団を作り、支えてきた理由もひょっとしたらここに?と想像されるほど確かな感触だった。

     7人の劇団員が全員上京。路上パフォーマンスで生計をたてながら共同生活。2年でスターになれなかったら劇団やめるという彼らの決意表明が大きな注目を浴びたせいか、劇団鹿殺しが舞台で何を実現しようとしているかは、なかなか見えにくい嫌いがある。テレビに出たい、マスコミに取り上げられたい――それが最終目標という劇団は多いので、それと同じと思われてしまうから、でもあろう。

     もちろんイマドキっ子の彼ら、テレビに出るの大好き、大歓迎。グッズやDVDの販売にも熱心だけれど、たった一人の女性、菜月チョビを座長にしたこの集団。ちょっと他と違うことは、たとえばスタッフの欄に、「劇中歌の作曲:オレノグラフィティ/菜月チョビ  編曲:李  作詞:丸尾丸一郎/オレノグラフィティ/菜月チョビ」とあったことからも見て取れるのではないだろうか。みんなで創るのだ。初めに「役者と役者のパワー競べ、魅力争い」と言ったが、それはただ舞台の上でというだけではなかった。稽古にも即興を採り入れ各自の工夫、魅力を競い合うのだと聞いたが、舞台の仕込みや撤去もそのとおり、全員で力を合わせて素早い。つまり劇団鹿殺しは、一人の女性を太陽のように囲んだ俳優たちが、それぞれ潜在する才能をいかに発掘、発揮していくことができるか、そのための少数精鋭、戦闘集団であった。そしてその結果として輝ければ本望というわけなのであろう。

     先に唐十郎の名を挙げたが、一人の才能、表現行為にたくさんの俳優が入れ替わり奉仕し、時にその中から魅力的なスターが出現するというのとはちがう、新しい世代の、新しいシステム。その実験であった。

     さすが若い世代の男優たち。その、すらりと伸びて美しくよく鍛えられた身体も紅テントの屈折した身体にはないものだった。初期唐十郎の目指した劇中劇による音楽劇もひょっとしたら、新しい形で実現するかも?と期待される。先物喰いには今が見どき、最高においしい旬であろう。

                      (2006.04.26/05.03所見。タイニイアリス)
    | 劇評 | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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