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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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プレイバックシアターらしんばん「プレイバックシアター」__西村博子
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     船のクレーンが旧江戸川を横切る高圧送電線にぶつかって首都圏139万か所が停電、交通機関もストップ。私は今朝、集合時間に遅れたと自分のことから話し始め、あなたは、この地下劇場に来るまでにどんなことがありましたか、どんなことを思いましたかと客席に発言を促していく。 “コンダクター”羽地朝和の巧みな誘導に、え〜と……と、観客の私も思わず朝からの自分をいっしょうけんめい思い出そうとしていた。初めて接した「プレイバックシアター」である。

     「観客がそれぞれ自分の体験を語り、それをアクターがその場で演じる」というこの手法は、観客がまず、普段なら思い出そうともしないで忘れてしまう日々をふと振り返ってみる――ここからさらに、コンダクターの、相手の話に親身に耳を傾けるという姿勢に誘われて、次第しだいに何でも話せるような気持ちになっていき、そして手を挙げ、自分の一生忘れられない記憶やコンプレックスやも話し始めていく。終わって、ふだんの他への無関心、無干渉の自分とはちょっぴり違う、優しい気持ちになっている自分に気づく、という仕組みになっていた。ジョナサン・フォックスによって創始されたというこの「プレイバックシアター」。文字通り訳せば巻き戻し演劇、あるいは観客蘇生劇、とでもなるのだろうか。精神治療のために編み出されたと聞くエッセンシャル・モレノのサイコドラマより、もう一歩“play=演劇”により近づいた手法と思った。リチャード・シェックナーのエンヴィロンメント・シアター(日本では観客参加の劇と訳されたが、演劇が観客を取り巻き包囲し、観客を能動的にさせようとする手法)の荒々しさ、ラジカルであったのに比べると遥かに微温的、現状肯定的だが、この時代、あるいはもう一度playback、はなっからやり直してみなければならないのかも知れない、と。日ごろ、その人の切実な想いから創られたオリジナルの舞台でさえどこか頭の知識、自分自身の心も身体も本当には動いていない観劇体験が少なくないから、である。

     今回初めての劇場公開。演劇しかない私から言わせてもらうと、これはこれで素敵な体験だった。が、次回、さらにその次と、もっともっと“演劇”にしていってもらえたらなあと欲が出た。観るものが、心も身体もほんとうに動くための“演劇”にである。

     そのためにはどうしたらいいか。帰りの私はさまざまな想像で楽しかったのだが、その一つは、アクターがもっともっと身体の表現力を手に入れることだと思った。話された言葉を絶対に使わないで、いかに話し手の感じたこと、その生理を他の観客に体感させるか、である。話されたことを短いストーリーにして当てぶりするのも、たまにはいいけど続くとつまらない。ただの2度聞きにしかならないからである。

     そういう見かたから言うと2シーンに可能性を感じた。3年間介護してきた母が家族みんなに看取られて最近亡くなったという話を、手を取って泣いたり死に水取ったりの当て振りなどしないで、ただ全員で優しい、優しい雰囲気をかもし出したシーンと、生まれたときからの斜頸で高校生の頃から気になりだし、今もう一度手術しようかどうしようか悩んでいるという話を、みんなが鏡を見たりの仕草のうち、一人のアクターが首の、短い筋肉そのものになって伸びよう伸びようとして出来なかったシーン、であった。筋肉の、オッと話した人の気持ちがよく分かった。

     各シーンに即座に対応していくライブな音楽(今西賢治、窪田朋典)も新鮮だった。最後に全員が、今日の話はこれとこれとこれだったと、観客の話をぜんぶ織り込んで次々とパフォーマンスしていったのも、アクターたちがひとの話を身になってちゃんと聞いていた証拠、とても良かった。

     プレイバックシアターというこの手法、もし真剣に追求していったら、このアパシー時代の、もうひとつの演劇として大きな力を発揮するかも知れない、と思った。(2006.8.14)

    | 劇評 | 06:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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