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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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Big Smile「paper planes」 __西村博子
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    Paper plane――訳せば「紙ヒコーキ」。終幕、あちこちから飛んでくる紙ヒコーキがとてもきれいだった。弁護士の夕平(中野正章)が幼かった昔を思い出すシーンだ。

    チラシにも「あなたにとって大切なことは何ですか?」、それを「どこかに置き忘れてきていませんか?」、「僕が見つけて紙飛行機であなたのもとへ送りましょう」とあったが,「大切なこと」とは、おそらく愛、であろう。生きる勇気、であったかも知れない。「自民党小泉派」に荷担する弁護士がダム建設に反対する地元住民の側に寝返る話でもあったので、反権力、だったという可能性もなくはない。そういえば、私も小さいとき……。見終わった夜、私もそっと紙ヒコーキを飛ばしてみたくなった。

     話はいたって単純。親なしッ子でいじめられッ子の夕平(中野正章)が、息子を亡くしたクサ爺(是永克也)に出会い、紙ヒコーキの作り方、飛ばし方を教えてもらったり、可愛がってもらう。が、失火によって山火事を起こして、クサ爺に頭を殴られてしまう。しかし後年。東京で金がすべてのやり手弁護士へと出世していた夕平は、かつての村の同級生たちにダム反対に協力をと頼まれたことから故郷を訪れ、偶然クサ爺の遺していった夥しい紙ヒコーキをみつける。そしてクサ爺がどんなに夕平の帰りを待っていてくれたかということを知る、というもの(是永克也作・保母浩章演出)。ヒコーキの紙に書かれていたクサ爺の言葉の数々を読みながら、中野正章の目からはほんとの涙が流れていた。舞台で女性が涙を流すのは珍しくないが、男性のは初めて見たような気がする。構成もうまい。プロローグ、夕平が「私に勝ちたくはないか」「私と闘いたくはないか」と女性弁護士に携帯をかけ、セクジャルなことか?と観客に誤解させておいて、エピローグ、同じ携帯、同じセリフをくり返し、それが実は夕平が「自民党小泉派」の弁護士として不利に動き、女性弁護士に勝たせてやろうという意味だった! ということが一瞬にして解る。

     9歳のころの夕平がとっても不憫、カワユカッタし、クサ爺が、掛け毛布が臭いという夕平に、先ず足の臭さをかがせて慣れさせたり、夕平の非人間性を嘆く女性弁護士の後ろに夕平が胡瓜片手に立ってエッチを連想させたり、随所に爆笑が仕掛けられていた。あの狭いタイニイアリス、クサ爺の小屋の内と外とがあっという間に転換する装置もみごとだった。終幕に飛んだ紙ヒコーキ、その一つ一つに劇団員の、それぞれの想いが書いてあるというアイデアもなかなかイカス。持って帰ってくれとカーテンコールで言う。私の拾ったのには「自分の力と誰かの力があって、ちゃんと起きて前に進めるんだろな 藤井勢士」とあった。

     気になったことは、一つ一つの台詞がそうノロイわけではないのに、作全体のテンポがノロイと感じられたこと。会話と会話と間にほんの少しずつだが不要なマがあったせいでは?と思った。前半思い切って間を切り詰めスピードアップしておけば、終幕のあのゆったりとした涙のシーンがより生きたのではないだろうか。もう一つ。「わかりやすさ」を第一にしたからと思うが、夕平の孤児という設定、クサ爺との出会い、弁護士としての異例の成功など、あまりにもお話、お話していて、最初はちょっとついていけなかったこと。が、芝居は所詮芝居なんだからこれでいいのかも? 私ももう一度考えてみよう。

     ともあれ、誰にもわかる芝居をと標榜しながら、その底に、ただの大衆迎合でなく誰のでもない自分の昔の紙ヒコーキ=大切なものを手放さなかった是永克也の存在は、笑いのもう一つの可能性として頼もしい。  (2005,03.12)

    | 劇評 | 17:35 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    私は観逃したので想像の域を出ないのですが、劇評を拝読して、89年のイタリア・フランス映画「ニュー・シネマ・パラダイス」がかぶりました。

    もちろん、全然違う作品になっています。
    が、火事・主人公が故郷に戻って特別な友情で結ばれた人(かなり年上)の残した、ユーモアと愛あふれる「あるもの」を見て涙ぐむくだりなど、出来事と人物の行動によく似た箇所があります。
    アリスのインタビューを読んでみたら、是永氏の発言で「私はイタリア映画が好きで、例えば「ニューシネマパラダイス」の世界などは普遍的ではないでしょうか。」とありました。

    劇評で指摘されている台詞の間は、映像のダイアローグと舞台のダイアローグは何が違うか、創る側の煮詰めが若干足りなかったのでは、という気がしなくもないです。アリスサイトによれば、演出の方はテレビの仕事も手がけておられたのですね。

    ただ「ニュー・シネマ・パラダイス」、たしかに私は観た時ぐっとくるものがありましたが、それは「世界」よりも「世界」を映像にしていく丁寧な仕事―例えばP.ノワレと中年になった主人公トト(J.ペラン)と子役(S.カシオ)の、風景の中にいる後姿からまぶたの動かし方まで、つまりマクロからミクロまでこうやって芝居を魅せるのかという恐るべき力量と、モリコーネの音楽、太陽光と乾いた風が空気にフレーバリングされたシチリアの村の映画館、その名も映画天国座という場所など―「芝居らしさ」への徹底した推敲と、映さなくてはいけないことと不必要なものの見事な取捨選択に感動した記憶があります。

    逆に「世界」そのものはどうかというと、正論過ぎて取り立てて強調すべきことかな、というのが実感です。言葉で解説し出すと、どこか楽をしているというか陳腐になるのはそのためだと思います。受け手の感受性によってネガティブな反応がおこるのは、想像に難くありません。
    そんな訳で普遍的という捉え方は、個人的にやや解せないものがあります。でも、そのような観点と今回の作品が同一の地平線上にあるということは、留意すべきだと思いました。




    | simone | 2005/03/18 2:41 AM |










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