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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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机上風景「乾かせないもの」__西村博子
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    「やあ、キレイどころばかりだった。見に来てほ〜んとよかったあ」大きな声に出口を振り返ったら若い男性だった。キレイどころなんて古めか しい言葉には思わずクスリとしたけれど、同感だった。稽古風景の写真のある青木司さんのブログ「東京劇場」には「銃後の母」ならぬ、「銃後の妻」の物語。/女優陣の熱さ、強さ(そして怖さも、若干)感じながら、舞台を拝見していました。/邪馬台国の昔から、日の本は、女が元気な国なんです。と、改めて思いました」とあった。これにも同感。Alice Interview で、プレイの名で舞台に出ていた川口華那穂さんが自分もかつて所属していた「新劇」の演技について「とてもうまいけれど、本気ではない」と言っていたから、「乾かせないもの」(古川大輔作・演出)のこの女性たちの美しさ、強さは、彼女たちの「本気」から来たものにちがいないと思った。何よりそれはまず、舞台にしっかりと足がついている、ということに現われていた。

     頭上の4本のロープに洗濯物を干したり取り込んだり。その緩急、リズムが女性たちの心の照り曇りとなる演出もお見事。これがなかったら、ありがちの反戦台詞劇になってしまっていただろう。

     舞台は、夫や兄を待つ女たち。男の軍隊のなかでの上下関係がそのまま女性たちの上下関係になっている。女たちは、戦争はもうすぐ終わるだろうの知らせに一気呑みしたりして大喜び。が、帰還してきた負傷兵の報告によってそれは誤報、夫たちはあるいは死にあるいは行方不明と分かる−という、いわば待つ女たちの日々を描く前半。自ら命を絶つものもいるなかで、続いて、伝聞や推測による報告では死を信じない、待ちつづけようとする女たちと、反対に、もう我慢できない、志願して戦場に行き、夫を撃った敵を殺してやるという女たちとが真っ二つに分かれて対峙する、劇的な後半とからなっていた。1時間 半という時間に8人の人間を描き分けるのは至難の技。作者は賢明にも、一人ひとりを深く掘り下げるより大まかな構造によって待つ女たちを群像として描こうとした。

     描かれた戦争は、軍曹だの中尉だの伍長だのという階級を聞いたり戦況が玉砕みたいだったりするので日本のかな?とも思ったが、♪Field of Goldや♪ Hey!Mr.Baseman、♪Side by Sideなどなどが明瞭な歌詞でふんだんに流れてきたところをみると、英語などトンデモナイ、敵性語として絶対に禁じられていた太平洋戦争ではなかった。一夜の喜びのパーティの、コンロのお鍋や食器がステンレス?製だったところを見ると朝鮮戦争みたいな気もするし、ユエ、テトといった女性たちの名を知り、サンダル履きを見たりすると東南アジア、ベトナム戦争かも知れないし、ロング・ヘヤーにお洒落なロング・スカート、スプーンでカラオケしたり洗濯は洗濯機でと言うことからすると、教育基本法に愛国心を盛り込み憲法を改悪したあとの自衛隊、海外派兵かも知れない。しかし、呑んではしゃいで撃つ真似するのも拳銃、あとで実際に舞台に出てくるのも拳銃、劣化ウラン弾はおろか機関銃さえ出てこないことから察するともっとずっと昔の戦争だったかも知れない。要するに、あっちにもこっちにも昔も今もある“戦争”であって、具体的な戦争ではなかった。公演前のキャッチにも「我々は表現者です。戦争を実際に体験することはできませんが、その苦しみを想像することはできます。実際に殺し合うことはできませんが、その狂気を想像することはできます。戦禍をくぐり抜け、無事生還した兵士を抱きしめる家族にはなれませんが、その喜びを想像することはできます」とあったから、これはむろん、戦争を知らない作者の「想像」による“戦争”であり、その、言わば虚構に女優たちがいかに「本気」になるか、真実の感情を持つか、舞台は果敢な演出の実験であった、と言えよう。

     そして実際、事実にリアリティを求めず感情にリアリティを求める−「新劇」には決して見ることのできないこの不思議に、女優たちは不思議なほど見事に応えたのであった。

     プログラムにこの「乾かせないもの」が演劇専門放送「テアトルプラトー」に撮られ、スカパーTV やYahoo!の動画で放映されるとあった。もし放映用に別に撮れるなら、だけれども、2つのシーンをほんの少し変えることはできないかなあと思った。1つは前半と後半の境目、女たちが無言で赤い炎を持って出てくる美しい場面である。あれは、女たちがそれぞれ自分の男の命を吹き消すのでなく、机の上に集められたときおのずと燃え尽きなければならなかったのではないだろうか、と。客席にいる私たちも、何にもせず、長い間ただじっと待つということはどういうことか、女たちと同じとは言えないまでも、多少なりとも味わえただろうから、ということもある。

     もう1つは、劇的なといった後半。待つことを選んだ女の1人が拳銃を持ち出してきて、戦場に行くと言った女に撃てるならまず私を撃てとそれを差し出す場面。ここまではいい。だが彼女はそのあとすぐ、なぜかその相手に拳銃を向ける。そして撃とうとして撃てないところに死んだと報告されていた男の一人がひょっこり帰ってきて一喝される――と、舞台はそれから、少々苦しい終わり方をしていくのだが、それはともかくとして、撃てるか撃てないか、人を殺せるか殺せないか、拳銃を奪い取ってでも自身の内部を問わねばならなかったのは、ほんとは戦場へ行く、行って夫を殺した誰かを殺してやると言いきった女のほうだったのでは? と思われてならないから、である。

     劇場を出てものの5分で忘れてしまう芝居もあれば、何日か忘れられない芝居もある。同じ「銃後」でもアリストパネスの虚構「女の平和」のあの明るい女たちと、確かに永遠に乾かぬ洗濯物でしかない私たちと、一体この違いはどこから来るのだろう――という問いも含めて、私はまだ当分、この芝居のことを考えていそうな気がする。(2006.08.28)(表題「忘れられない芝居 感情にリアリティを求める果敢な演出」として週刊「マガジン・ワンダーランド」第5号 2006.08.30に所載)
    | 劇評 | 17:23 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |









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    週刊「マガジン・ワンダーランド」第5号発行
     週刊「マガジン・ワンダーランド」第5号が本日30日に発行されました。京都で開かれた山田せつ子公演「奇妙な孤独vol.2」を、活発な演劇評論活動で知られる森山直人さん(京都造形芸術大助教授)が取り上げます...
    | wonderland | 2006/10/01 10:45 PM |