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☆Alice's Review☆

  タイニイアリスで上演された作品の劇評たち ―Crazy Tea Party―
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釜山演劇研究所ドンニョク「バリデギ」__香取英敏
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     楽器を持つと民族の曲が奏でられる。そして踊りが始まる。満面の笑み。そのエネルギーに圧倒される。

     うらやましい。

     そこには、民族の音楽があり、民族の踊りがある。

     それを、出演者が演じること自身を心ゆくまで楽しんでいる。民族の「血」への誇りと自信、そして「伝統」への敬虔さと畏怖が同時に発露している。だから、かれらはより力強く、胸をはって演奏し、踊る。

     そこから、観客席には発散するエネルギーが奔流となって流れ込み、「生」が謳歌される瞬間に観客は立ち会うことができるのである。

     その圧倒的なパワーは受け止めるのが精一杯で、とても簡単には言語化できない。

     呆然としつつ思った。

     我々にはそんな音楽や踊りがあるんだろうか。そう思ってとてもうらやましくなった。

     プログラムによると、「韓国の神話「バリデギ」は全国にわたって言い伝えられてきたもの。父母への孝行をもとに、非常に長い旅と冒険を通じて「自分自身」と「世界」を発見してゆく英雄神話です」とある。

     多少の日本語に助けられ、みていても話が「子捨て」と「冥府めぐり」での両親との邂逅、というあらすじはわかった。

     男子が産まれることを望んだ父母が、6人続いた女子誕生に落胆し、「男が生まれない」ショックから、とうとう7人目は捨てられてしまう。「親に棄てられ」放浪するという神話的な構造は世界中に共通してある。  成長した娘は、「親なし」とはじかれ、やるせなくなり、親を探しへと冥府へと降りていく。そして親に巡り会い、魂が救済される。

     まさに神話であるので、ことばがわからなくても、たやすく想像力でおぎなうことができる。顛末はコミカルな動きと、象徴化された演技にもとづくシーンの連結で、スムーズに、スピード感をもって表現されていく。

     親に川に棄てられるエピソードは旧約の「モーゼ」のようだし、親元で育てられた6人の娘は冷たかったり、自分のことが忙しかったり父には関心が向かなったりするのは「リヤ王」的な展開だし、「冥府」におりていくのは、ギリシア神話「オルペウス」や「イザナギ」のようである。神話的エピソードが満載である。

     そういうエピソードが連結され力強く物語になる。

     人間の祖型的な話であるがゆえに、古びた感じはしない。祖型をきちんと舞台化できる、素直で剛直なストレートさにあこがれを感じた。日本の若手劇団で、「時代劇」をやりたがるところはあるが、「記紀」の物語をきちんと舞台化しようとおもうところがあるだろうか。はなはだ疑問である。

     見倣いたいなぁ。見直したいなぁ。よいなぁ。と切実に思った。

     父にであって、冥界で祝福をうける娘は舞台中央で踊り、そこに五色の布がかぶせられていく。赤、青、白、黄、黒。陰陽に基づく方位・世界を表す色である。青は東で、春。赤は南で夏。白は西で秋。黒は北で冬。そして黄色は世界の中心。

     娘は魂の救済とともに、世界を手に入れた、ということを表現しているのだろう。あるいは世界と同一になった、ということを。そして音曲が満ちて、世界に祝福されていく。

     アリス・フェスティバルで「韓国」劇団を招聘するようになって18年ほどだそうだが、他の場所では決して見られない芝居をかけるというのは、小劇場とよぶことから「オルタナティブ」へと変えようという流れの中で重要な役目になることである。

     演劇を見るのに、必ずしも「ことば」はいらない、ということも可能であると気付かされるのは幸福な経験であった。

    | 劇評 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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